もし私が語らなかったことがあるとしても、地壇よ、私が忘れたと思わないでほしい。何も忘れてはいない。しかし、ある種のことはただ収めるにふさわしいだけなのだ。語ることもできず、想うこともできない、それでいて忘れることもできない。それらは言葉にはならない。言葉になどなりようがない。一度言葉になってしまえば、それらはもうそれらではなくなってしまう。それらは、ぼんやりとした温もりと寂寥であり、成熟した希望と絶望である。それらの領分はただ二つだけだ。心と、墓である。
だが、太陽は、その瞬間ごとに夕陽であり、また旭日でもある。それが消えゆきながら山を下り、もの寂しい残照を収め尽くすとき、まさにそのとき、その裏側で燃え上がりながら山の頂を這い上り、烈々たる朝の輝きをまき散らしているのだ。その日、私もまた、静かに山を下りていくだろう、杖にすがりながら。いつか、どこかの山の窪地で、きっと一人の子供が跳ね回りながら駆け上がってくる、玩具を抱えて。もちろん、それは私ではない。だが、それは私ではないのだろうか?宇宙はその絶え間ない欲望によって、一つの舞を永遠へと錬成する。この欲望が、人間の世界でどのような名前を持つのかは、大いに顧みるに及ばない。
私は地壇とともに
私は地壇とともに